日本におけるトレーナー関連史

【参考資料】日本におけるトレーナー関連史

今回は、日本におけるスポーツトレーナー関連の歴史についてまとめていきます。

1929年
小守良勝らが東京大学サッカー部の要請でマッサージを行う
1931年
第1回日米野球戦で、小守良勝、井上龍男らがアメリカのトレーナーと交流。テーピングを知る。
1932年
ロサンゼルスオリンピックにマッサージ師が随行。
1934年
米大リーグオールスター来日。慶應義塾大学野球部の招聘によりヤンキースのトレーナー、ノールス来日。小守らと技術交流。
1949年
医道の日本誌に「スポーツと鍼灸の研究」(本間祥白著)が連載される。
1950年
NATA設立。日本プロ野球セ・パ両リーグ分裂。この頃からトレーナーがつく。日本医事相談所設置(東俊郎所長、日体協スポーツ診療所の前身)。
1960年
ドイツのクラマーコーチ(サッカー)が来日。テーピングを紹介。
1961年
日本体育協会スポーツ科学研究室設置。
1964年
東京オリンピックに約100名のトレーナーが参画。
1970年
フットボール専門誌タッチダウン創刊(この頃からフットボール熱が高まるとともに、NATAのトレーナーの存在も徐々に知られる)。
1971年
ユタ州立大学フットボールチーム来日(単独チームとして初来日)。
1972年
冬季オリンピック札幌大会。
1973年
ハワイ大学フットボールチーム来日。この頃、日本のフットボールで数人の死者が出る。
1975年
プリンストン大学トレーナー、マラクレア来日。日本で初めてテーピング講習会開催。
1976年
「競技者のためのテーピング」(山崎国昭著)刊行。
1977年
鹿倉二郎、日本人として初のNATA公認アスレティックトレーナーを取得。日体大3年生の白石宏渡米。帰国後同大で学生トレーナーとして活動を始める。日本体育協会公認スポーツ指導者制度発足。
1978年
月刊トレーニングジャーナル創刊。
1979年
関東労災病院に日本初の「スポーツ整形外科」が開設される。
1982年
日本体育協会公認スポーツドクター制度発足。
1983年
スポーツ選手のためのリハビリテーション研究会発足。
1986年
日本整形外科学会認定スポーツ医制度発足。
1989年
日本陸上競技連盟でトレーナー会結成。
1990年
日本サッカー協会医事委員会にマッサー部会設置(〜1992年)。
1991年
日本医師会認定健康スポーツ医制度発足。日本水泳トレーナー会議創設。日本バスケットボール協会医科学研究部にトレーナー部会設置。長野県鍼灸師会で「スポーツ鍼灸師」制度開始。
1994年
日本体育協会公認アスレティックトレーナー制度発足。
1995年
JATAC設立。
1996年
JATO設立。スポーツ鍼灸セラピー神奈川発足。
1997年
富山県アスレティックトレーナー協会設立。Jリーグアスレティックセラピスト会発足。
1998年
神奈川県体育協会にトレーナー部会設置。